たけしの忙中閑話

チューリップ

最初に言っておくが、「咲いた 咲いた」のチューリップではない。先ごろ解散を決めたポップバンドの「チューリップ」である。小生にとっても久々の「社会見学」だった。総裁選の開票が終わった翌日、かねてから予定していたチューリップの解散コンサートに友人のH代議士と一緒に行ったのだ。

博多出身の彼らはこの34年間に渡って活動を続けてきたのだが、この間、我々の世代にとっては忘れられない数々のヒット曲を残してくれた。政変のさ中、そういうところへ足を運ぶのもどうかと一瞬、躊躇はしたが、既に切符も買ってある。総裁選ではH代議士ともども担いだ候補が善戦はしたものの敗退して、既に当分の間の「冷や飯」も確定している。したがって官邸に呼び出される心配も、実に残念なことではあるがまったくと言っていいくらい無い。この際は懐かしのヒット曲にフィーバーして憂さ晴らしでもするかということになったのだった。

会場の東京フォーラムに着いてシートに腰を下ろしてみると、なるほど、我々と同世代か、さらに年下の人たちで席はびっしり埋まっていた。さすがに背広を着たむくつけき男の二人連れなどという「カップル」は見当たらない。少しばかり気恥ずかしかったが、負け戦の鬱憤も溜まっていたのでそんなことももうどうでもよくなっていた。「よし!今夜は楽しもうぜ」という気構えでわくわくしながら開演を待った。

予定の時間から20分ほど遅れて見慣れた顔ぶれがステージへと上がってきた。場内に歓声が湧く。財津、姫野という二人の有名なボーカリストの名前しか知らなかったが、白髪混じりになった財津さんやズングリとした体型になった姫野さんの姿にさすがに「年輪」を感じる。そりゃ、そうだろうな。彼らが最初にヒットチャートに躍り出たのは僕らが高校生の頃だ。今から30年以上も前になる。自分が今年で50歳、H代議士はふたつ年上の52歳だからして、彼らももうすぐ「還暦」を迎えるという計算になる。2時間近いコンサートをノンストップでやると聞いて「息が上がりはしないか」と余計なことが心配になってきた。

チューリップの曲はどちらかというとメロディアスなものが多い。かん高い声で青春時代の愛や恋を優しく歌い上げる。この当時で言うと、オフコースや荒井由美と系統的には同じと言っていいだろう。まぁ、だからこそ青春まっさかりの我々の心を捕らえたのだが、その当時、胸を高鳴らせたヒット曲というのは、こういうコンサートではたいていの場合、後半に用意されているもので、それが出てくるまではじっと我慢の子、という次第となる。

しかし、そのほうが今や「中年」に差し掛かった我々にとってはありがたいのだ。なにせ、ロック系のコンサートになると開演直後から全員総立ちのようなことになって、「中年男」ではとても体力が持たない。みんなが立っているのにぽつねんと座っているのも変だし、そのままではステージだって見えやしない。当然のことながら音だけはしっかり聞こえてくるが、それだと家でCDを聞いているのと変わりなく、わざわざコンサートに来ている意味がない。だからほとんどの曲を座ったまま聴けるバラード系が中心のチューリップのコンサートは実に居心地がいいというわけだ。

そうやってしばらくの間、ぼんやりと曲を聞いていたが、ふと横を見るとH氏がこっくりこっくりしている。。。。そうだよな。連日の集票活動で考えてみれば二人とも疲れている。この種の疲れは勝利すると一気に吹き飛ぶのであるが、負けたとなるとあとを引く。なんだか自分も少し眠たくなってきたなぁ、と思ったその矢先、懐かしいイントロが耳に飛び込んできて、それを合図に場内がいっせいに立ち上がる。「ウオォ!」と言って目を覚ましたH氏も自分も、「ここぞ!」とばかりあとに続いた。

「あぁ だから今夜だけはぁ 君を抱いていたぃー あぁ 明日の今ごろはぁ 僕は汽車のなかぁー」

これだ、これだ。これが一番聞きたかった曲なんだ。あぁ、なんと懐かしい。なんと美しい曲だろう。大声を張り上げて歌いながら一気に青春時代へタイムトリップだ。

僕は高校になってから家を離れた。郷里の別府市から高校のあった鹿児島までは当時、汽車で6時間以上もかかる長旅だった。カソリックの男子校。おまけに寮生活。一日中、むさくるしい男の臭いに囲まれて過ごす灰色の日々。いきおい、中学時代のガールフレンドのことが思い出されてならなくなる。

当時、僕には好きな子がいた。高校へ入ってから文通をはじめたのだが、やっぱりそれだけでは満足できず会いたい思いが募ってくる。休みになると郷里に帰ってささやかなデートをするのが楽しみだった。一緒に母校のグラウンドまで散歩して帰る程度のかわいらしいデートではあったが、それだけでも大いに胸が高鳴った。手を握るだけでも相当の勇気が要ったものだ。

ちょうどその頃に大ヒットしたのがチューリップの「心の旅」だった。休みが終わり、鹿児島へ向かう前日になるとこの曲を聴きながら「あぁ 明日の今ごろは僕は鹿児島へ向かう汽車の中なんだ」と思って身もだえしていた。ステージの上のチューリップと一緒に歌いながら、少しだけあの時の胸が「つん」となる感覚を思い出した。

ついでだからその続きを言うと、現実は厳しかった、、、のである。「去る者は日々に疎し」。幼い二人には距離を埋めるすべなどなく、一年程の間に僕と彼女は次第に疎遠になり、とうとう手紙に返事も返ってこなくなった。やがて風の便りに彼女に新しいボーイフレンドができたと聞いた。当時の友人たちにも同様のことが起こっていたらしく、お互いに肩をゆすって慰めあったことなどが懐かしく思い出される。

「いつのいつの時でもぉ 僕は忘れはしない 愛に終わりがあってぇ 心の旅がはじまるぅー」

そうなんだ。愛にはいつか終わりがあるんだ。ククク。おぉ、いま考えてみてもなんとすべてをよみ通した歌詞であることよ。。。。彼女と縁が切れたあとも、この歌は長く僕の心に残ってついに青春の記念碑となった。

H氏と大いに盛り上がったあと、しばらくはまた静かな曲が続いた。この「休憩」の感覚が実にいい。だいたい、盛り上がる歌の見当はついている。「銀の指輪」、「魔法の黄色い靴」、「サボテンの花」、「虹とスニーカーの頃」、「青春の影」などといったところになるだろうか。みんな大ヒットした歌ばかりだ。ちなみに「青春の影」はいまだに自分の持ち歌になっていて、時折、カラオケなどでブルースハープをヒューチャーして歌ったりする。そこの店のママさんは僕がクマのような体型をしていると言って「ねぇ、青春のクマを歌ってよ」などというのが少し癪に障るものの、好きな曲だからしていつも嬉々として歌っている。

チューリップはこの日、「サボテンの花」を除くすべてのヒット曲を聞かせてくれた。とりわけ盛り上がったのが意外なことに「魔法の黄色い靴」だった。とてもかわいらしい歌詞で、「僕の魔法の靴を履いたら、君はどんなに遠くにいようともきっと僕のところに帰ってくるのさ」という内容のラブソングである。

「大きな海をー 河をー越えてぇー 僕のちっちゃなちっちゃな家までぇ 帰ってくるぅ おぉ そうだよ 誰にもあげない 魔法の靴さぁー おぉ そうだよ 誰にもあげない 魔法の靴さぁー」

たわいないと言えばたわいのない歌詞なのだが、これを場内の全員で大合唱すると実に盛り上がるのだ。H氏も自分もまるで高校時代に戻ったかのごとく、立ち上がって拳を突き上げながら目いっぱいの声で歌い上げた。お陰で「敗戦の憂さ」などすっかり吹っ飛んだような気がした。


子どもの頃、テレビの「懐かしのメロディー」を一家で見ていたとき、めったに唄など歌わない父が歌手にあわせて口ずさんでいる姿を子ども心に怪しんだことがあったが、考えてみれば、チューリップの懐かしのメロディーに狂喜するいまの自分たちもきっと似たようなものだろう。「歌は世につれ 世は歌につれ」。同時代を過ごしたものにしか共有できない甘酸っぱい感覚がその時代のヒット曲によって瞬間にして呼び覚まされる。

青春時代の歌は実に懐かしく、実にほろ苦い。そう言えばトップギャランが歌っていたっけ。「青春時代が夢なんて、あとからほのぼの思うもの。青春時代の真ん中は胸に棘さすことばかり」。。。ほんと、、、そうだったよな。

還暦まじかのチューリップの熱演によって、僕らははるか30年前に舞い戻り、夢のような時間を過ごすことができた。コンサート会場を出て帰路につく人々は僕らも含めて例外なく「満足顔」だ。もしかしたらあまり似つかわしくなく腕など組んでいる中年夫婦の気持ちもリフレッシュされたかな。。。

帰りのタクシーの中、ずっと「魔法の黄色い靴」を口ずさんでいたら、またあの娘の面影が浮かんできた。どうしているだろう? 同級生だからな。。。ずいぶんおばさんになったかな。いや、きっとまだ美しいままだろう。どうか元気で幸せに、と願う。顔を上げたら、バックミラーに映った運転手の目がにんまりと笑っていた。

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