たけしの忙中閑話

娘との同居

住み慣れた高輪宿舎から悪評高かった新築の赤坂宿舎に引っ越して一年近くが過ぎた。当時はワイドショーで朝から晩までやれ「贅沢過ぎる」だの「家賃が安過ぎる」だのと批判されたものだが、近頃はやっとそれもおさまったらしい。

あの当時の風潮からすれば小生とて赤坂宿舎への引越しを躊躇しなくもなかったが、なにしろ我が輩のような貧乏議員には国会近くに自費で住む場所を確保するほどの余裕はない。永田町を遠く離れれば別だろうが、とはいえ、国会議員がいざという時に国会に短時間で直行できないようではこれもまた用を為さない。

当時の報道ではずいぶん誤解されていたが、「赤坂宿舎建て替えプラン」はこれまで数箇所に散らばっていた議員宿舎を一箇所に統合し、残った土地を売却して財政再建の足しにしようという「行革」の一環でもあった。しかも、建築方法はいま流行のPFI方式。つまりは民間会社に建築させてその後は家賃でもって建設費を長期にわたって償還していく仕組みだ。宿舎の運営も民間会社が行なうのでそこに国会職員が張りつくことはもうない。そういう風に聞いていたからこそ、我々も建設に賛成した経緯があったのだ。

したがってそれまで住んでいた高輪宿舎はほどなく廃止され、売却される運命にあった。ぐずぐずしていると住む場所がなくなってしまう。それまでの「住人」にしてみれば言わば「追い出し」にあったようなもので、「これは批判など気にしている場合ではない」と早々に引っ越しを決めたのだった。

小生、実は赤坂住まいは初めてではない。初当選した直後には旧赤坂宿舎の住人だった。いくつかある宿舎の中では一番古くて部屋も狭かったが、なんといっても国会に最も近いというのが入居を希望した最大の理由だった。ここからは国会まで車なら3分。歩いていっても10分少々で着く。赤坂の繁華街にも近いのでいささか「環境」は悪い(良い)ものの、そのぶんお店もたくさんあって飲み食いするのにも便利だ。

当時は秘書をやっている弟と部屋を分け合って住んでいた。部屋は古くて汚かったものの、それなりに快適だったのだが、その後の選挙で落選し、すぐさま強制退去させられた。7年ぶりに戻ってきたとき、本当はもう一度、赤坂に入居したかったのだが、既に空き部屋がなく、やむなく国会から一番遠い高輪宿舎に入ったという次第だ。そして、今度は再びそこをおん出されて赤坂の住人となったわけである。

一部に「宿舎があること自体がけしからん」という声もあるが、それはあんまりだろう。我々にしてみると郷土の皆さんの負託を受けて国会に出てきている以上、どこかに寝泊りする場所が確保されればいいのであって、どうせ夜に帰って寝るだけに過ぎないのだからして、どんな部屋であろうが別に頓着はない。家賃だって安ければ安いほうがいい。とはいえ、今度のは新築物件だ。今までの家賃のままというわけにはいかんということで、きちんと値上げはされている。

いつも言っているのだが、国会議員というのは国会の「通行人」でしかない。いつ落選するやも知れず、たとえ当選し続けたとしても、時間の問題でいつかはいなくなる。あと50年もせずして現在の国会議員は全員が死ぬか退場しているだろう。それでも、未来永劫、この国の国会には有為な人材が常にリクルートされてこなければならない。資産があろうとなかろうと、志があり、国民の支持さえあれば人生の一定期間を国家のために捧げたいという人が絶えることなく国会を目指してもらわなければならない。

本来は「議員会館」とて「宿舎」とて、あるいはついに廃止されてしまった「議員年金」とて、そのための「装置」であると考えるべきなのだろう。言うまでもなくなんにしろ過剰であってはいけないが、このままだと会社を辞めて政界入りした人には厚生年金もなければ議員年金もない。本人は好きでやってるのだからいいとしても、それなりに国家に奉仕した人材が死んだ途端に家族が路頭に迷うなどということもあって欲しくない。そんなことを言っていればよほどの資産家でもなければ国会議員はやれなくなるだろう。マスコミはそういう事情も少しは伝えてはくれまいか。。。と時に思ったりもするのだ。

まぁ、そんな話はこれくらいにして本題に戻ろう。

高輪時代は文字通り「一人暮らし」だった。俗に言う単身赴任である。しかし、現在、赤坂宿舎には同居人がいる。長女がこの春、東京の大学に入学して一緒に住むようになったのだ。普通、娘はむさくるしいオヤジと一緒には住みたがらないものだと聞いていたので最初は少し心配したのだが、幸い、この娘は平気らしい。親馬鹿ながら気立ての優しい子でありがたいことだと思っている。

単身赴任を経験した人なら誰でもそうだったと思うが、一人、夜遅くに部屋に戻って真っ暗闇の中で電気コードをまさぐる時ほど侘しさを感じることはない。それが娘と同居するようになってからというもの、毎日、「ただいま!」と「おかえり!」という言葉を交わせるようになっただけでもありがたい。部屋に自分以外の温もりがあるというのは実にほっとするものだ。

しかし、問題もある。なにせ娘は家を離れたのは初めてだからして、掃除、洗濯、炊事、といったことには今のところあまり期待できない。小生、以前から炊事はやらなかったし、やれもしないが、掃除と洗濯については必要に迫られてそこそこまめであった。それでも一人で生活しているのと二人とでは出てくるゴミの量からして違う。洗濯物もしかり。これが滞るとまたたく間に不快な生活空間へと変わってしまうのだが、それが嫌なので、結局のところ自分でやることが増えてしまっている。

もうひとつは「監視体制」が強化されたことだ。本来は年頃の娘をオヤジがしっかり監視監督しなければならないのだが、長女はすこぶる真面目でおとなしく、今のところ心配はなさそうだ。「問題はパパだ」ということで、目下、家内と娘の連絡体制は強化されている。朝は小生の出勤のほうが早いのだが、毎日、出て行くときに帰宅時間を申告しなければならない。それより遅くなりそうな時はあらかじめ電話もする。。。。ウウム、これはもしかするとまんまと家内の罠にはまったのかもしれない、、、とブツブツ言っているこの頃である。

いずれにしてもこうやって父娘の宿舎住まいは今のところ順調に?推移している。最初に言ったようになによりも時間に余裕ができたのがありがたい。そのぶん、毎朝のウォーキングや運動の時間も余計に確保できるようになったし、朝のひと時、僅かな時間ではあるが読書や資料の整理などがはかどるようになった。ますますもって頑張らねば、と思っているところである。
最初にもどる