たけしの忙中閑話

書道

こういう稼業をやっていると時折、支援者から「※揮毫」とやらを頼まれることがある。小生、たいていの頼みには喜んでお役に立とうとするのだが、このときばかりは一瞬、躊躇してしまう。ともすると「字を書く」のではなく、「恥を書く」ということになりかねないからだ。
 ※揮毫(きごう)・・・人からの依頼に応じて格言や看板の文字を書くことが多い

小生、子どもの頃にはひととおり書道はやっていた。その時分はどきどき賞状などもらっていたので、極端に下手なほうではないだろうと自分では思っているのだが、揮毫となると話は別である。書いたものがほぼ半永久的に人様のご家庭や村の公民館などに残ると思うと想像するだに冷や汗が出てくる。

実際、選挙の際に支援者のお宅にお邪魔すると、思わず自分の書いたものが玄関先に掲げられているのに出くわすことがあるのだが、まぁ、このくらい恐縮してしまうことはない。自分のものだけならまだしも同じ選挙区の先達の書かれたものと一緒に掲げられていたりするともう最悪である。郷土の先輩政治家たちは時代もそういう時代であったのだろうが、例外なく「達筆」ときているからだ。そういうのと並べられたりするともう「大人」と「子ども」、という感じになっていて、思わず目をそむけてしまう。

まぁそれでも「紙」の上に書くのであれば、これまでそこそこの回数はこなしてきているし、いつもできるだけ練習が足りている字だけを書くのであるから自己流ながらもなんとか格好をつけることができる。問題は「公民館が落成したので看板を書いてくれ」などという注文を受けた時だ。「木版」の上に書くというのは紙とはまったく勝手が違う。しかも毎回、材質も大きさも違うときている。そのうえに書く文句も毎回異なる。こうなるとまさしく「悪戦苦闘」である。

ある時などは5回も書き直した。書き直したといっても「木版」はひとつしかないからして、さぁ大変である。その時は支援者の大工さんに頼んで事務所に来てもらい、失敗するたびにカンナをかけてもらいながら書いたのだったが、事務所の中はおがくずだらけになるし、大工さんからは呆れられるでもう散々だった。木版も何度も削るので最後には最初の厚さの半分くらいになってしまって、それでなくとも字が貧弱であるのに看板もそれに合わせたような憐れなことになった。あれから、そこの公民館には一度も行っていない。

そんなこんなで「どげんかせんといかんっ!」とずっと思ってきたのだったが、実は昨年、ようやくにして思い立ったのである。そうです。小生、目下、書を習っているのだ。師匠は別府市内で理髪店を営んでおられる方で、父の時代からの有難い支援者であるが、書の世界では知る人ぞ知る大家の一人なのである。以前から書を習うのだったらこの先生に師事したいと思っていたのだが、なかなか踏み切れないでいた。小生、地元にいる時間も少なく、よしんば帰郷していたとしても決まった曜日の決まった時間に教室に通うというのは到底無理だとあきらめていたからだ。

しかし、そんなことを言っていてはいつまでもこの状態を脱却できない。そこで思い切って先生を訪ね、事情を話して相談してみると「本気でおやりになるのなら、日程についてはなんとか調整して都合をつけましょう」と言ってくださった。実に有難いことである。以来、月に一回か二回、2時間ほどのマンツーマンの指導を約一年間にわたって受けてきた。

この先生の字は線が伸び伸びとしていて雄渾であると同時に清清しさがある。小生はそういう字が大好きで、だからこそ弟子入りをしたのであるが、であるだけに指導方針も実に厳しい。先生は「線」をなによりも大事にされる。縦の線、横の線、それを引く線、さらに押す線、その「線」こそが「書」の基本中の基本であって、それができないうちに上に進もうと思っても意味がないのだとおっしゃる。「基本ができてない人は、調子を崩した時にどこへ戻っていいかわからなくなるからだ」と。曰くごもっともである。

それで、最初の半年はひたすら漢数字の一から十までを書かされた。「一からやりますよ」とは言われたが、本当に「一から」だとは思わなかったので、まるで小学一年生に戻ったような感じで、正直、物足りなく感じたことは否めない。そうやって練習したものをうちにもってかえって娘に見せると、既に中学の書道の先生の資格を得たという我が娘は「プッ」と噴出して「パパ、本当にこんなところからやるの?」と笑われたりしたが、しかし、やってみるとなるほど、自分がこれまでいかにいい加減な「線」を書いてきたかがよくわかったのである。

実際、この先生の指導は驚くほどに細かい。筆先がどのように動くべきかということを朱の墨やマジックを駆使して丁寧に紙に書いて解説してくださる。見ていると、ああ、なるほど筆先というのはこういう動き方をするものなのかと初めて納得できたような次第だった。それまでは筆先の動きなどまったく気にしたこともなかったので、まさしく「目から鱗」の思いである。そのお陰もあって、最近は以前の自分の字に比べるとかなり「線」がしっかりしてきたのではないかと感じている。

しかし、問題はそれをすぐに忘れてしまうことだ。月に一回くらいの稽古だと次に筆を持つときにはせっかく体得したはずの感覚がもう薄らいでしまっている。久々に筆を持つと途端に昔ながらの自己流の悪い癖が出てしまうのだ。先生からは「一日10分でいいから筆を持ちなさい」と言われているのだが、これがなかなかできていない。反省することしきりである。

言うまでもないことだが、「書」というのは基本的に漢字圏だけの芸術である。最近では時折、アラビア文字や英語のアルファベットも題材になっているようだが、本来は「表意文字」を持つ地域に特有の文化に違いない。一字一字に意味があるからこそ「書」はたとえ一字だけの作品であってもひとつの世界観を表現できる。さらに日本語には「かな文字」も「カタカナ」もある。それらの組み合わせはある意味、音楽の音符のそれをはるかに凌ぐバリエーションだろう。それがまた「書」の魅力でもある。

以前に細川護煕氏の個展について書いたことがあったが、氏はいまや陶芸の大家であるのみならず、書家としても高い評価を得ておられる。先に氏の個展を拝見したとき、自分は陶芸家には到底成れぬとは思ったが、このように心中に温めてきた言葉を自らの筆で自在に紙に置いていくことができたらいいなぁ、とつくづく思ったものだ。自らの悪筆に長年悩んできたこと以上に、細川氏の書に触発されたことも本格的に書を学ぼうと思い立ったきっかけのひとつだった。

それにしてもこのままでは道遠し、である。そう思っていた矢先に朗報が飛び込んできたのである。現在、住まいする東京の議員宿舎で「書道教室」が開かれることになったというのだ。議員の生活は毎夜のように会合があってどうしても不規則になる。夜はたいていの場合、酒が入っているので書道どころではない。ところが、その教室は朝の7時から8時まで毎週木曜日に開催する予定だと案内に書かれてあった。それなら早起きの小生には好都合である。普段より早めにウォーキングに出てその足で教室に向かえばいい。よし!と思って早速に入会申込書に署名したばかりのところだ。初回が今から楽しみである。

さぁこれで体制は整った。あとはやるのみである。一人前になれるのは何年後になるかわからぬが、請うご期待!である。晴れて公開できるような字が書けるようになったら、いくらでもご注文にお応えいたしますぞ。

そうだ。その時はあの公民館の看板も書き換えねばなるまい!
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