たけしの忙中閑話

善き人のためのソナタ

久しぶりに良い映画を観た。観たと言っても劇場でではない。ビデオ屋でDVDを借りてきて観たのだ。地味にして重厚、実に内容深い作品であり、観た後もしばらくの間、感動が尾を引いた。幅広く公開された映画ではなかったようで小生はその存在を知らなかったのだが、ひょんなことからこの映画を観て感動したという家内の薦めもあって観ることにしたのだ。

DVDのカヴァーを見る限り、かなり暗そうな映画で正直、あまり期待はしていなかった。しかし、鑑賞後の感想を言えば、これまで小生が観た映画の中でも何本かしかない「名作」のひとつだと言っていい。いつもは、「あまりはずれがない」という理由で、ど派手なアクションものかSFものばかりを好んで観てきたのだが、時折、こういうシリアスなものにもトライしてみるべきだと思わされた。

一度観たきりでうろ覚えではあるが、ストーリーを紹介しておこう。

時代はベルリンの壁崩壊前の東独。主人公は、当時、「シュターゼ」と呼称されていた「国家安全保障省」、つまりは国民監視を専らとする組織に属する「真面目」を絵に描いたような中堅管理職である。彼には体制に対する疑念や不満まどまったくない。自ら「改革の先兵」を任じている。上司の覚えも良く将来が約束されていると言ってもよかった。

その彼が、ある日、とある劇作家の監視を命ぜられた。この時代の東独の国民は常時、「体制」の厳しい監視の下にあったのだが、当局に「狙い」をつけられるとシュターゼが乗り出してきてさらに徹底した監視が実施されるのだった。

下命を受けた主人公は作家の留守に手馴れた作業員とともに氏のマンションに忍び込み、部屋の隅々に手際よく盗聴マイクを仕掛けていった。そして、夜な夜な屋根裏部屋に陣取ってはヘッドフォンを通じて室内の会話を聴き取り、そのすべてを仔細に記録するという「完全監視」という作業を開始したのである。

この作家はこの段階では決して反体制派ではなく、むしろ体制順応派だった。だが、作家と同居する美人女優に横恋慕した有力大臣の指示によって突如、監視対象者となってしまったのだ。彼女は怯え、憔悴し、とうとう抗しきれずに大臣に身を委ねようとするのだが、たまたま町の飲み屋で偶然にも主人公に出会い、彼女の一介のファンであると偽った氏の意味深なアドバイスによって踏みとどまる。

そんなこともあって作家の心に次第に体制に対する反発心が生じ始める。しかし、それだけならただの「色恋沙汰」である。作家の体制への反逆心を決定的にするに至ったのは、シュターゼの仕業によって失脚させられた親友の演出家の自殺だった。

当時の東独では、ひとたび当局に睨まれてしまえば、それはただちに「失脚」を意味した。職業人として二度と這い上がることができない運命に身を置かれるのだ。自殺をはかった演出家もまたそうであった。才能を発揮する機会も与えられず、悶々とした日々を送る中で、やがては生きる気力を失い、体制によって「自己殺人」と蔑称された最後をついに選ぶに至る。

作家が最後に演出家に会ったのは、自らの誕生パーティーの席だった。失意のどん底にあったその演出家は参加者の誰とも会話しようとせず、部屋の片隅のソファーで黙然と本を読んでいた。それを気遣った作家が近づいていって横に座ると、演出家は「俺からのプレゼントだ」と言って一冊の楽譜をわたした。その曲名がこの映画のタイトルでもある「善き人のためのソナタ」である。

パーティーが終わり、女優と二人きりになった時に作家は友人の置かれた苦境を慮りながら、その曲を弾いてみた。屋根裏部屋の主人公のヘッドフォーンにその調べが甘く切なく響きわたる。寄り添ってきて肩に手を置いた彼女に作家は弾きながらつぶやいた。「「レーニンが言っていたそうだ。この曲を聴くとみんな善人になってしまって革命がやれなくなるんだ、ってね。。。」 そのときからだ。屋根裏部屋の主人公の心の中にこれまでなかった不思議な感情が芽生え始めた。そうだ。「体制」によって失脚させられた演出家が最後まですがり続けた曲の美しい調べによって、主人公の心に「体制」に対する初めての疑念が生じ始めたのだ。

友人の死にショックを受けた作家はその葬儀の帰りについに「反逆」を決意するに至る。「自己殺人者」の数が世界一に及んでいる東独の現状を記事にして西側にリークしようと決意したのだ。むろん、これは「命がけ」の企てとなる。秘密が漏れてしまえば、よくても刑務所暮らし、場合によっては「死」を覚悟しなければならない。細心の注意が必要だ。

自分の住まいが「完全監視」の対象になっているとはまったく気づいていない彼は、その部屋の中で芝居仲間の同志や西側の記者と頻繁に謀議を繰り返していく。だが、言うまでもなくその一部始終は屋根裏部屋に潜む主人公にすべて筒抜けになっていた。

本来なら主人公はすぐさまその状況を上司に報告し対処を開始しなければならなかったはずだ。しかし、もはや彼にはそれができなくなっていた。それどころか、盗聴記録を改ざんし、作家らの企てを黙認する行為に出たのだ。彼の中には既に反体制派に対する「共感」が芽生えていた。それには、主人公がかねてよりかの女優の熱烈なファンであったことも手伝っている。権力をかさにきて恋人同士を引き裂こうとし、執拗に肉体関係を迫る大臣の不埒さが我慢ならなかったのだ。その思いは徐々に「この体制は間違っている」という確信につながっていった。

主人公の間接的な「援助」が奏功し、作家らの「企て」は成功に終わる。「体制」は赤っ恥をかいた。上司や大臣たちは犯人探しにやっきになり、「どうもあの作家が怪しい」ということになったが、どうしても確証が得られない。それもそのはず、完全監視を行なっていた張本人が証拠を隠蔽していたからだ。だが、敵もさるもの、次第に監視役だった主人公に疑惑の目が向けられていく。

大臣たちはついに強硬な手段に出た。女優を薬物不法所持の疑いで別件逮捕し、自白を迫ったのだ。尋問役に主人公が引っ張り出された。「飴と鞭」を巧みに取り混ぜた厳しい尋問のあとについに証拠品であるタイプライターの所在を白状させる。ただちに捜査員が現場に急行する。だが、主人公は素早く現場に先回りをし、その証拠品を隠滅する工作を行なっていた。

間一髪で作家は難を逃れた。しかし、その一方で当局が証拠品の隠し場所を知っていたことに愕然とする。秘密の場所を漏らしたのはほかならぬ女優に違いないからだった。作家は呆然として彼女を見つめる。彼への愛を保身のために裏切ってしまった彼女はいたたまれずに半裸身のまま路上に駆け出し、走ってきた車に自ら身を投げ打って自己殺人をはかった。

女優の死体の横に呆然と立ち尽くす主人公に上司が声をかける。「うすうす気がついてはいたが、、、いいか、覚悟しておけ。貴様はこれから退職までの20年、地下室で郵便の検閲作業だ。20年だぞ。20年は長いぜ。」 主人公には自分のやったことが国家への裏切り行為だということはよくわかっていた。だから甘んじてその苦役に服した。

来る日も来る日も郵便開封作業を続けて数年が経ったころ、主人公のもとに思いもよらなかった「朗報」が飛び込んでくる。そう、ベルリンの壁がついに崩れ去ったのだ。その後、東独は崩壊し、東西ドイツが統一されて主人公は晴れて無罪放免となる。しかし、そうは言っても「体制」を支えていた特務機関の人間に満足な仕事が用意されているはずもない。主人公は過去を封印して新聞配りの仕事に身をやつし、朝夕、新聞のいっぱい詰まったバッグをひきずりながらトボトボとベルリンの町を歩き続るという日々を送ることになる。おそらく、彼の中では「人生は終わっていた」であろう。自身の過去を肯定することもできなければ、将来に夢を馳せることもできない。そういう傷心の日々を送っていたであろう。

この間、作家のほうは白日に曝されたシュターゼの記録を丹念に調べ歩いていた。「完全監視」ともなればその記録も膨大な量となる。山ほど出てきた自身に関するファイルをめくっている間に作家は意外なことに気づく。すべて盗聴されていたはずの会話の中身が明らかに実際のものと違っていたからだ。「これは明らかに自分を監視していた者の仕業だ。誰かがこうやって自分を護ってくれていたのだ。」 そして、作家はついにその人物が誰なのかをつきとめた。

数年後、作家は本を書いた。題名は「善き人のためのソナタ」。町に張り出されたポスターに見覚えのある作家の顔を見つけた主人公はふらりと本屋に立ち寄ってその本を手にする。表紙をめくると「×××に感謝をこめて」と最初のページに書かれてあった。「×××」とはほかならぬ主人公の当時の暗号名なのだった。主人公はその本を手にレジへと向かう。店員が聞く。「プレゼントでしたらお包みしましょうか?」 主人公は晴れ晴れとした表情で答えた。 「いいえ、、、これは、、、私の本ですから。」

ここで映画は終わる。少なくとも最後になって主人公は自分の好意が相手に伝わっていたということを知り得た。彼にとって何よりの慰めだったろう。作家のせめてもの感謝の思いが伝わって彼の心の中に少しだけ明かりが灯ったであろう。

観終わってしばらくの間、小生は静かな感動に浸っていた。はて、「感動」の中身はいったいなんだったんだろうとあとから思ってみたのだが、うまく言葉に置き換えられない。強いて言えば、「一人ひとりの小さな勇気がやがては強固な体制をも覆す」ということだったか。。。いや、歌の文句じゃないが、「最後に愛は勝つ」ということだったろうか。。。それとも、「音楽はベルリンの壁をも打ち崩す」ということだったのだろうか。。。

ドイツは壁が崩れたからまだいい。しかし、世界には何処とは言わぬが、いまなお壁の内側に閉じ込められたままの多くの人々がいる。「権力」というものは、よほど気をつけていなければいとも簡単に「抑圧」を生み、無造作に人々の夢や希望を押し潰してしまう。ひとたびそうなってしまえば、抗う勇気を持てる人は稀にしかいない。しかし、その抗いとて、たいていの場合は無残に踏み潰され、残った人々へのみせしめにされるだけに終わるのだ。

つまるところ、踏み潰されてもいい、という覚悟を持った人が続いていかない限り、「体制」というものは変えていくことができない。その積み重ねこそがやがては大きな壁をも突き崩すことになる。「小さな壁」なら誰しもの身の回りに山ほどあるだろう。だが、人はその小さな壁を打ち崩す勇気すらなかなか持てないものだ。

おそらく自分はそんなことをこの映画を観て考えていたのだと思う。我々はいまや「自由」が「放逸」にまで弛緩しつつある国に住んでいる。だからとて、世界の各地でいまなお壁を築き続けている人たちのことも、その壁の内側にいる人たちのことも決して忘るまい。せめて、彼らの耳に届くように「善き人のためのソナタ」を奏で続ける努力をしたいと思っている。
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