たけしの忙中閑話

はやぶさ

久々にこの種ものを書いている。読者からはよく「もっと定期的に書け」と言われるのだが、そうもいかない。小生は物書きではないし、それほど暇を持て余しているわけでもない。書いたとて収入になるわけでもないし、それほどのことを書いているわけでもない。単に書きたい時に書きたいことを書いているだけだ。したがって書きたいことがない時には書かない。というか、書けもしない。で、こうやって書いているのは久々に心動かされたことがあったからだ。それは、何を隠そう、今回、けなげにも7年の宇宙での旅を終えて帰還した惑星探査機「はやぶさ」のことだ。

正直、今度の劇的な帰還を知るまでは「はやぶさ」についてさほど知っていたわけではなかった。はるか以前に地球を旅立ったこと。小惑星「イトカワ」にたどり着き、そこからの物質採取に成功したこと。それが人類が月以外から持ち帰る世界で最初の貴重な採取物であること。そして、そのあと、しばしの間、行方不明になっていたこと。しばらくして体勢を立て直し、なんとか地球へ向かっているということ。そのくらいは時折のニュースを通じてぼんやりとは知っていた。

が、このたびの「帰還劇」には実に胸を揺さぶられた。ニュースにくぎ付けになった。感動した。涙すら出た。なんなのだろう、この感覚は。「所詮、機械ではないか」と思ってはみるものの、どうにも激しく胸を揺さぶられる。日本の科学者たちが丹精込めて作り上げたこの決して大きくもない探査機が世界初の快挙を成し遂げ、しかも、一時期、制御不能になるという困難に遭遇しながらそれを奇跡的に乗り越えて7年ぶりに地球に戻ってきた。そして、採取物が収まっているであろう大事な大事なカプセルを無事に大地に送り届けたあと、「ふるさと地球」の写真をたった一枚だけ残してその身を焦がし、星屑となって消えていった。この「はやぶさ」の軌跡が我らの胸を揺さぶってやまないのである。

「はやぶさ」を勝手に擬人化し、感情移入をしているだけなのかもしれない。万物に神が宿ると真面目に信じている日本人にはありがちなことだ。「まぁ、こういった感慨を持つのもその辺りに理由があるのだろう」と高をくくっていのだが、その後の詳しい解説を聞くにつけ、自分でも不思議なほどに熱いものが次第に込み上げてきた。

「はやぶさ」に最後に地球のほうを向かせて写真を撮らせたのは、科学者たちの願いだったそうな。「お疲れさん。よく頑張ってくれたな。最後に地球のほうを向いてごらん。どうだい?久々に見るふるさとは? 帰りたかっただろう? 一時期は僕らもあきらめかかったよ。でも、君はよく苦難に耐えて持ちこたえた。そして、立派に任務を果たしてくれた。これまで誰もできなかったことだ。君のことを誇りに思うよ。もうすぐ君の命も尽きる。最後にふるさとを見てごらん。どうだい、美しいだろう。君がこの7年の旅で見てきたどんな星よりも美しいだろう。さぁ、最後だ。よく見るんだ。そして、写真に撮って送っておくれ。君のことは決して忘れない。僕らの誇りだ。本当にありがとう。さようなら、はやぶさ。君の最後の輝きを僕らはしかと見届ける。本当に本当にありがとう。どうか、ゆっくり休んでおくれ。そして、星になっていつまでも僕らを見守っておくれ」。。。。僕には科学者たちのそんな声が聞こえてくるような気がした。そう思ったら涙が止まらなくなり、何度も何度も目をぬぐった。

「はやぶさ」の壮挙は久方ぶりに日本人の誇りを呼び覚ましてくれただけでなく、日本の持つ卓越した技術力を再認識させてくれた。実際は宇宙開発にそれほどの予算を使えているわけではない。「はやぶさプロジェクト」はその乏しい予算の中で、ある意味ではかなり「背伸び」した計画でもあった。テクノロジーの面で言っても、「イオンエンジン」に代表されるように、必ずしも評価が定まっていない未確立の技術が搭載されていた。途中、音信不通になった時、「ふん、やっぱり駄目だったか」と蔑みにも似た評価を受けた時期もあったろう。しかし、「はやぶさ」はその苦難を見事に乗り越え、ずいぶんな遠回りをしながらも無事に地球に帰還し、素晴らしい成果物を我々にもたらしてくれた。しかも、任務を見事に果たし終えたあと、その身はふるさとを目の前にしてはかなくも燃え尽きる運命にあったのだ。

これを見て日本全国に感動の輪が広がった。日本人ならばこれに感動せずにはいられないではないか。僕は初めて人間以外のものに「国民栄誉賞」を贈ってもいいと思った。いや、ぜひともそうすべきだ。機械であれなんであれ、これから明らかになる「成果」の中身がどうであれ、これほどまでに人々の魂を揺さぶったということだけでも十分に受賞に値するではないか。僕はほんとにそう思う。

なにも「はやぶさ2の予算を事業仕分けで削ったのがけしからん」と政局じみたことを言おうとしているのではない。そんなことはどうでもよい。いつの時代も予算の査定は厳しくあってしかるべきだ。しかし、「はやぶさ」の功績はそういった科学的成果だけに止まるものではない。いや、それ以上のものだ。無謀とも言われた果敢な挑戦。中途での絶望的な挫折。それを克服した類まれなる根性。任務を立派に達成した崇高な使命感。そして、その賞賛を受けることもなく見事に散っていった潔さ。むろん、それを成し遂げたのはプロジェクトに携わった科学者や技術者たちであったにせよ、主人公であり、実行者であったのは「はやぶさ」だ。たとえ人工物であるにせよ、その生きざまと死にざまがこれほどまでに多くの人々の心をうち震わせたのだ。

とりわけ、「7年」という年月が自分の胸を揺さぶった。くだらぬ話にしか聞こえぬだろうし、それを承知で言っているのだが、小生、「7年」の間、浪人生活を送ったことがある。初当選の後、二回目、三回目の選挙に落選し、合計で7年にわたって失意の日々を過ごしたのだ。努めて明るくふるまってはいたものの、心のどこかにいつも寂しさを抱えていた。なにしろ、「男子一生の仕事」と学生の時から思い定めていた政治の表舞台に立つことができないのだ。寂しくないはずがない。絶望しかかったこともあった。「もう二度とあの舞台には戻れないかもしれない」と思い詰めたこともある。途中、もっと楽な選択がないではなかったが、どうしても踏み切れなかった。自分の心が許さないのだ。まぁ、自分はそれでもいい。好き好んで決めたことなのだから。しかし、ついてくる家族にはたまったものではない。なにしろ、一家の大黒柱が7年間にわたって「巣浪人」なのだ。夜遅くに家に帰ってスヤスヤと寝息を立てている家内や子どもたちに「俺が我儘をするばっかりに申し訳ない」と密かに涙したこともある。

「はやぶさ」のことを知って思わずその頃のことが自分の中でオーバーラップした。人様から見れば笑止千万で滑稽な感傷に過ぎぬことはよくわかっている。しかし、自分も「はやぶさ」のような勇気、根性、強さ、潔さを持ちたいと思ったのだ。自分はいま、宇宙のどのあたりを旅しているのだろう。「音信不通」になっているのか。「制御不能」な状態にあるのだろうか。いや、なんとかそこを乗り越えて体勢を立て直したところなのか。はっきり言って自分でもよくわからぬ。しかし、最後の最後には「はやぶさ」のごとく、立派に任務を果たし終えて見事に散っていきたいものだ。第一、星になって終わっていくなんてとっても素敵じゃないか。「はやぶさ」はきっと僕だけではなく、多くの人にそんな夢を見させてくれたのだと思う。

ありがとう、「はやぶさ」。君が あのカプセルに託して 僕たちに届けてくれたのは、小惑星の砂だけではない。もっともっとたくさんのものを君は届けてくれたんだ。ずっと一人ぼっちで寂しかったろう。でも、これからはずっと一緒だ。僕たちは決して君のことを忘れない。どうかゆっくり休んでおくれ。
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